伝説の本別高校!



今日から始まる一週間は冷え込みそうですね!

昨夜は車を置いて家までウオーキングで帰りました。
理由は、いただいた焼芋を食べたからです笑笑

という事で、本日は歩いて出勤です・・・約15分かかります。
密かに店に出て、日曜日にしか出来ない事をチャチャっとこなしました。

写真は本別レッズ野球少年団様のヘルメット&ケースです。
本別町には三つの少年団があります!

【本別レッズ】・【勇足エンジェルス】・【仙美里グレートフレンズ】
本別町の人口は約6,800人ですから、人口対比からいきますと
チームが多い=野球の街と言っても過言ではないですね!

高校野球のオールドファンなら【本別旋風!】という言葉を
覚えていると思いますが、それは凄かったです!

1985年(昭和60年)・・・もう35年も前の話になります・・・。
1980年代は十勝勢が強い時期でした。

81年帯工、82年帯農、84年広尾、86年帯三条、87年帯北、89年帯北・・・。
毎年の様に甲子園に駒を進めた十勝勢でした!
そういう流れもあったので、85年の本別高校の快進撃を見ていて
誰もが甲子園を信じていました・・・・・。

初戦は網走南ヶ丘に10-3で勝ち、二回戦は稚内大谷に6-0で勝ち
ベスト4となり準決勝は釧路湖陵でしたが、9回裏ツーアウト満塁までは
2-1でリードしていました・・・ショートゴロをさばいた遊撃手がセカンドに送球・・・
ゲームセット!誰もがそう思った瞬間、ボールは二塁手のボールをかすめて
外野に転がっていく間に三塁ランナーに続き二塁ランナーも生還し、
まさかの逆転サヨナラ負けとなったのです。

あれから35年・・・・・伝説の話でした!
その伝説のタクトを振ったのが、本別高校に初任で赴任した三年目の
明治大学野球部で四番を打っていた本間茂裕監督でした。

【全員野球】・【全力疾走】・【大声野球】をモットーに、わずか三年目での
快挙でございました!!
僕が感じたのは、『公立高校だからとか、郡部校だからとか・・・。』決して
言い訳をする事無く、現状の部員でどう戦うか!など超ポジティブです。

また、お世話になった方々を大事にしますし、非常に義理堅いです。
そういう日本人の根っこにある部分を持ち備えた素晴らしい方です。

故に、その教え子の方たちと今もお付き合いをさせて頂いていますが、
本当に涙が出るくらい善いお付き合いをさせていただいております。

本間さんは現在、知内町の教育長をされています。
こんな僕ともフェイスブックで繋がってくれていまして、
十勝の近況報告をさせていただいております・・・・・。

当時は、帯広市は勿論、札内や芽室からも越境している生徒がいました。
本間監督の所で野球をやりたい!って生徒が多かったです!

本別高校のユニフォームを納めさせていただいておりますが、
今年は・・・まだ連絡が来ませんが、コロナ明けに明るい連絡を待ってます!!






ハタケヤマの軟式ファーストミットは限定です!
音更ビッグスターズが最も最強の時の三塁手です!

マック杯の十勝大会で優勝・・・優勝チームばかりを集めて行われる
遠軽での全道大会で優勝しました!
全道チャンピオンとして全国大会に出場しました。

そんな彼も今年30歳を迎え、某病院の監督として挨拶に来ました!
チームのミットが欲しいとの事で今回の流れになりました。

野球小僧が大人になって顔を出してくれるのは店主冥利に付きますね涙
『オジサン!』と呼んでくれた子供達も今ではハジメさん、社長など
呼び方が変わり成長してる事がホント嬉しいですね!

この前も近所のビッグスターズの父兄から『息子が高校卒業するまでは
年中野球を頑張ってくださいね!』と言われたので『コロナで大変だから
給付金が出たら協力してね!』で盛り上がりました笑笑

因みにハタケヤマのラベルは上から見ても下から見ても同じです。
『上から読んでも山本山、下から読んでも山本山、です笑』



日曜出勤していましたら神が見えました・・・本間監督の黄金時代以降は
トンネル時代だった本別高校野球部でしたが、この方が赴任して
地区大会の決勝戦までチームを作った先生が御夫婦で来店してくれました。

現在は市内の高校に勤務されています・・・。
上士幌の【ドリームトルチェ】のシュークリームを持参してくれました・・・。

大、大、大好きなシュークリーム!もう最高でした・・・神です笑