感謝の集い

感謝の集い

今日の十勝は雲が殆んどない青空で、比較的風も弱く暖かい感じがします。しかし、遂に今年も残り五十日を切りましたね。今年一年を振り返るには少し早いのでしょうが、あと何日かしたら各テレビ局では『今年一年のスポーツダイジェスト!』とか言って特番が繰り広げられるのでしょうね。

そんな中、昨日『北海道軟式野球連盟帯広支部』が発起人となり【丸山賢吉氏・水野重光氏 感謝のつどい】が帯広ノースランドホテルで行われました。 十勝野球界を支えてきた両人のご勇退とあって、軟式野球に関係する社会人・小中学校・企業等の監督・先生・オーナー・審判団等、150名近い人達が集いました。回りを見回しても十勝の著名人ばかりで、ご両人の人望の厚さが一目瞭然でした。

今から十五年前、私が二十八歳の時に『ワークボーイズ』という社会人クラブチームを立ち上げた年の文部大臣杯(勝毎杯)に初出場初優勝した時の総評を当時支部長だった丸山賢吉さんがしてくれたのを心の支えに今日まで頑張ってきました。

「このワークボーイズは若い監督を筆頭に打撃中心の荒い野球に見えるけども、投手のローテーションと継投、適材適所の守備、状況に応じた作戦が素晴らしい」と大変ありがたいお言葉を頂戴したのを、今でも覚えています。

また、水野重光さんにはよく怒られました。ワークボーイズ創部三年目の高松宮杯の十勝地区予選を制し、全道大会が地元帯広で行われた時です。一回戦は午後二時からの第三試合だった為、午前中軽く練習をして解散し、午後一時に現地集合をかけたのです。地元開催だったので、皆それぞれ昼食を取り球場に集合する事にしたのですが、少し早目に球場に行くとさあ大変!!前の試合がコールド等で試合進行が進み、一時に試合を開始すると言うのです。

当時は携帯電話ではなく、ポケベルの時代でしたから、まだ到着してない選手に連絡もつかないまま、挨拶→プレイボールとなってしまいました。その時、水野さんからは「バカ野郎!何やってんだ!おたんこなす!」』なんて、凄い罵声で怒られました。しかし、肝心なバッテリーが来てないので、運良く先行を取りベンチからのサインは『待て!伸ばせ!引っぱれ!』でした。何度かタイムを取り選手を呼んでは『スパイクの紐を縛り直せ!ズボンのベルトを締め直せ!』なんて事を言って時間稼ぎをしました。

そんなこんなの中、私の指示は『コールド勝ちしかない!何が何でも塁に出ろ!』でした。終ってみれば15ー2のコールド勝ちで初戦勝利でした。そのあとも勝ち続け、準決勝では遅刻したエースが汚名挽回とばかりに1ー0の完封で優勝候補を破り、そのまま決勝戦も快勝し島根県出雲市開催の全国大会を決めたのでした。

私は水野さんを始め、地元審判団の人に迷惑をかけてしまった事を心残りに島根に行きました。有名な出雲神社でお土産を買って水野さん宅に届けました。そしたら水野さんは笑顔で「君のチームはこれから十勝を背負って行くチームだ!これからの時代、強いだけでは駄目だ!他のチームの模範となれ!」と激励され、野球に対する考え方が変わりました。

丸山さんと水野さんには大変お世話になりました。この場を借りて心より『ありがとうございました。』と言いたいです。